cogito, ergo sum

ティーンエージャーが日々考えたことを淡々と綴っています

人の内側を覗く

もちろん内視鏡で臓器をみるとか胃カメラを口から突っ込むとかではない。人の思考をその行動や言動から知る、ということだ。絶えず人と接する社会。私は気が付かないうちに人との間に心の距離を置いている。それが多くの人にとって普通であるだろうし、比較的人と心の距離が近い人でも踏み込んで欲しくない域というものはあるのではないだろうか。そんな状況で自身の興味の赴くままに人の内側を覗くのは至難である。無理に踏み込もうとすれば、最悪は嫌がられたり逃げられたりするだろう。だから上辺だけの関係やただの友達では人の表面しか見えないことがほとんどだし、自分も表面しか見せていない。

ある時、私はどこまでも深く知りたいと思える人を見つけた。いままでのように表面だけの関係で終わらせたくないと思った。幸いなことに彼もその気だったから、心の距離をなくしても許される関係になることにした。そのとき私は、かつて理解できなかった「付き合う」を理解した。付き合ってしまえば相手を知ろうとすることは寧ろ歓迎される。もう随分と彼と時間を積み重ねてきた。今となっては彼のことを沢山知っていても尚、興味が湧くようだ。これは人の奥深さ故なのか、それとも彼特有の奥深さなのか、はたまた私の気持ちの持ちようなのか。どうであれ「付き合う」を見つけられた気がするので満足だ。私には彼ほど興味をもてる相手がそう簡単に出てくるとは考えられないし、彼が私に飽きるまで暫し寄り添うとしよう。